過去の自分に勇気をもらう

過去の自分に勇気をもらう

今年も軟式のシーズンがやってきた。

シーズン最初の試合はなんと佐賀での試合だった(本当は1ヶ月前のはずだったけど)。記事更新する前に試しにXでさくっと行ってきた試合の報告がてらその日中に4枚写真あげて、ひとこと書いた。試合どうこうじゃなくて自分の気持ちをね。詳細記事はこれからなんだけど、今年はどうやって書こうかなーってのをずっと考えてる。

活動再開してからは主に昨年の〈Play Back〉と称して記事をアップしてるけど、試合結果は得点だけにして写真はサムネイルで並べて(1枚1枚貼ると読み込みに時間かかるから)、あとがきに選手に聞いた話とか私の感想を書くスタイルでやってみてる。

かなり時間が経っているし「こんなことあったよね」って感じで書いてるからこれはこれでいいと思ってて。

問題は月末から千葉で国スポ予選が始まるし(もう今日から5月なんて信じられない)、リアルタイムに近い感じで更新する場合にどうしようかなーってこと。

昨年どうやって書いていたかまったく思い出せなくて(基本脳のキャパがあまりないから、覚えてられない……)、あまり自分の書いた記事を読み返すことはないんだけど、過去記事(昨年の千葉国スポ予選)を読み返してみた。

・最初に試合結果(イニングスコアとバッテリー)
・写真はサムネイルではなく1枚1枚貼る
・写真説明はなし
・試合経過もなし
・まとめて最後にあとがき(選手の声や見て感じたこと)

だいたいがこんな流れだった。

これ、いいじゃんって思った。
ちょっと変えたいところもあるけど、写真については説明や試合経過がなくても試合の流れが見えたし、あとがきも試合のハイライトと選手と話せた場合のみ書いていて、十分楽しめた。

そしてね、ここからがタイトルにも書いた本題。
どうやって書いてたか知りたかっただけなんだけど、過去の自分にすごい励まされちゃって。

写真の並べ方も、場面や選手の捉え方も、自分の写真にいうのはなんだけど、ストーリーがちゃんとあってその試合をしっかり思い出せるんだよね。説明や経過がなくても「ここで打ち取られてたなー」「こんな表情してたんだ!」と私の記憶の中では曖昧なポイントもしっかり残されてる。

あとがきも我ながらよく書けてるなって(笑)
頭真っ白になりながらも選手の言葉を逃さず聞けているし、忘れてないし、そこに対する自分の目線も選手に寄り添えてて温かかった。

自分の文章から私は本当に社会人軟式が好きだし、面白いし、千葉の選手たちが大好きなんだなっていうのが伝わってきてすごく励まされて勇気をもらえた。ああ、これでいいんだって。

書いたもの読み返すのは、次の試合のことを書くときにどんな試合だったかを振り返えるために読む程度だった。
あらためてじっくり読んでみて、愛が溢れてて泣きそうになった。私こんなふうに書けてるんだって自分で自分に驚いた。

活動を休む直前はもう完全に自信を無くしかけてて、いや、自信なんていうのはもともとなくて、ありのままに書くことが怖くなってたことは前回のブログでも書いた。

これまでのお礼と、これから328の目指すかたち
2024年3月、私が運営する小さな野球応援サイト「BASEBALL×PHOTO サンニッパ」の活動を再開しました。活動再開に伴って、サイト名も「GALLERY …
naoko-t-photography.com

「怖い」という感情に気づくまでに書いてた文章は、読み返してもそのとき確実に私が感じたことを嘘偽りなく書けていた。一部の試合を除いていつも通りに書けていた。だけど、一度「怖い」「できない」と思ってしまうとダメだったってだけなんだ。

純粋に軟式が面白くて、ひたむきに頑張る選手たちが大好きで、そんな選手たちと話す時間が本当に尊くて。

もう難しく考えなくていいじゃん。誰にどうみられるかとか、これを読んだら嫌な思いするかなとか、私の頭の中で考えたって答えは出ないんだから。

私が見て感じたことに正解や不正解なんてなくて、そこに縛られて動けなくなるのはなんか違うよね。改めて記事を読んで気がつけた。

文才なんてないけど、ありのままに思ったこと書いて、それを楽しみにしてくれてる人もいることが本当にうれしい。
だからって読んでもらう人を意識して色気付いて書くみたいなことはしないし(そもそもそんな技術はないからできない)、語彙力がなくたって、私は私のままでいいやって思えた。

ありがたいことに悩んでたときに「変えなくていいと思う」って何度も言ってくれた人がいて泣きそうになるくらいうれしかったんだけど、半信半疑っていうか……素直に受け取れなくて。

前回のブログに「こうしていきたい」みたいな決意表明は書いたけど、今となっては頭で考えたことで、心の底ではどうだったのかわからない。
でも今回自分で読み返して「変えなくていい」って言ってくれた本当の意味がわかった気がした。

4月くらいから本業の高校野球の仕事も密度が濃くなってきて、そこに自分の活動、千葉を中心に国スポや天皇賜杯の県大会も始まってきて、たぶんまたやりたいこととやるべきことで「うわーっ」て圧倒的に時間足りなくなると思うけど、速報性は捨てたから慌てることはない。

いまの私みたいにあとで読み返して、何年後でも読み返して「ああ、こんなことあったなあ、いい試合だったなあ、あの選手は元気にしてるかなあ」って大切な思い出として残しておきたいから、どんなに時間かかっても大切に作っていきたいなって思う。
もちろんある程度は急ぐ、というか「上の大会が始まるまでに」とか制限はつけるけど、壊れないようにやっていく。

こうやって公開するブログ以外に、自分しか見れないブログを書いていて、あと毎日3〜4行くらいの一言日記もつけてる(これは紙に書いてる)。
人間は忘れる生き物だから、書き残しておくとときに読み返したくない思い出もあるけど、あとで自分で気付かされたり、今回みたいに励まされたり「なんかいいこと言ってんな」みたいに思ったり(笑)

これも自分ブログに書くためにメモアプリに思いをぶちまけてたら5000字超えちゃったって話↓
(返信投稿はひとつ前のポストも表示されちゃうのね。下のポストね)

頭の中から形として出したあとはもう自分から離れた感覚で、読み返すとすごく客観的に自分を見ることができるから、なにか思ったことはメモしておくと本当にいい。

今回の記事も実はいったん自分だけしか見れないブログに書いたものを精査して書いてる(読まれない前提で書いているから話し言葉だし、いろんなことがめちゃくちゃなので、そのままは出せない)。公開ブログの下書きとしても使えていて、とっても重宝してる。自分だけにしか見れないブログについては昔noteに書いたので、気になる方はどうぞ〜。

それ、意味あるの? というお声も聞こえてきそう・・・。 しばらくnoteを書いてなかったんだけど、書くことがないというのもあったし、なんか公開するほどのことでも…
note.com

書き出すとすっきりするし、意外と過去の自分から発見することがたくさんある。

嬉しかった言葉や心に沁みたメールやメッセージを自分の気持ちと共に忘れないように書き留めたり、いいことばかりじゃなくて、悩んでたことも落ち込んだことも悲しかったことも自分に対してのがっかりや怒りも全部ぶちまけたりとか、いったん頭の外から出しておく。
ネガティブなこともあとで冷静になって見てみると「そんなことで」って思えたりするから不思議(思えずに引きずることもたくさんあるけど)。

私はいつの日からかずっと自分が嫌いで、変えたくて、劣等感と「なにくそ」って気持ちだけで生きてきたから過去の自分を振り返るなんて一番したくないことなんだけど、最近そこが変わってきた。

40過ぎてからかなあ。よく言えば歳を重ねてきたからなのか、力だけで押し切る!みたいなのができなくなってきて……動から静の時間が増えたっていうのかな。立ち止まることを覚えたっていうか。

書き出して自分からちょっと離れて見てあげることで、今は「自分が好き!」とまではいかなくてもようやく認めてあげられるようになってきたし「よくやってるじゃん」って思えるようになった。
変に理想も高くなくなったし、変えたいところもたくさんあるけど、肩に力入って眉間に皺寄せてって感じじゃなくてだいぶゆるくなった(笑)だから過去の自分も振り返られるようになったし、過去の自分に対してさえも「いいじゃん」って思えるようになった。

内省って私の人生で一番苦手で避けてきたことだったんだけど(自分が嫌いすぎて見たくもなかった)、活動を休んでこれからどうしよう……何か変えないとって思ったときに「内省だな……」と。
これから先避けて通れない!ずっと自分嫌いとか嫌だし!って腹括って、半端な気持ちじゃなく向き合って今に至ってる。そうやってもがき苦しんでたときって、何かのきっかけでふわっと浮かんでこれたりする。これまた不思議。

昨年の自分、ありがとう。
自分に励まされ、勇気をもらう。

変な感じだけど、自分がいちばん自分と長く一緒にいるから(文章変かな?)仲が良い方がなにかとスムーズなのかもしれない。今まで自分に対してケンカ腰みたいなところあったから(笑)追い込み過ぎてずいぶんいじめてきてしまったかもしれない。ほんとごめん自分。

今年の記事も来年の私が「いいじゃん」って振り返れてたらいいな。

みなさんも過去の自分に励まされたこと、勇気をもらえたこと、ありますか?

(同じようなことあったよーという方は、ご感想フォームからぜひ聞かせてください。匿名で書けます)

error: Content is protected !!