連写は「起こりそうなことを捉えるため」に意思を持って使う

連写は「起こりそうなことを捉えるため」に意思を持って使う

ガシャガシャガシャガシャ!!

まれにものすごい勢いで連写されている方が隣にいると、驚くのと同時にちょっと集中がそっちにもってかれるんです。

「そんなに連写して、何を撮ってるんだろう……」

撮影になれていない方はまずどんどん押す!押さなきゃ写らない!の精神でOKなんです。でもある程度経験を積んできた方でも連写しまくる方、結構いらっしゃるんです。

その時にふと「私は連写をどんなときに、どんな意図で使ってるかな」と考えて、一つの結論に達しました。

それは「起こりそうなことを捉えるため」です。

事が起こってからでは間に合わない!

「起こりそうなこと」とは何なのか。

例えば、野球を撮っていると以下ような状況で撮りたい画を想像します。

「追い込んだから、ここで全力でまっすぐ投げたら帽子飛びそうだな」
「三振でピンチ脱したら雄たけび上げるかも」
「一塁にヘッドスライディングしそう」
「ホームイン、クロスプレーになるタイミングだな」
「このフライ取れたら間違いなくファインプレー」
「サヨナラ勝ちしたらベンチからみんな飛び出して喜ぶよね」

これらは全て「事が起こってからカメラを向けてシャッターを切っても遅い」のです。何が遅いかというと一番は「感情のピーク」。そして体に一番力の入っている瞬間もそう。

起こりそう!と予測してあらかじめカメラを向けて準備をし、少し前からシャッターを切り始めていないと一番いい瞬間に間に合わない。だから連写で補足するのです。撮り始めるタイミングは撮りたい被写体の気持ちを想像してみるとうまくいきやすいです。

写真を交えての実例

よく帽子を飛ばす投手は画になりますよね。力投している感じが出てとてもいいです。ですが、帽子が飛んでから押してももう帽子は地面に落ちていて、投手の顔も体も力が抜けています。

クロスプレーは「起こってみないとわからないからあらかじめ連写する」のいい例。
走者の滑る方向、タッチのタイミング……走者が滑り込む体制になったくらいからシャッターを切り始めます。どこが決定的瞬間になるかは、起こってみないとわからないからです。

サヨナラ勝ちや、優勝の瞬間もそうです。
何を、誰を、どう狙うのか。自分の中で決めたらあとは「そうなってくれ」と願いながら押す(笑)もちろんそうならなかったときのことも考え、ファインダーの外にも意識を持ち、次にカメラを向ける先も考えておく。

「事が起こってからシャッターを切っても遅い」というのが想像できたかなと思います。
感情のピークが押さえることができたら、あとはファインダーの中を四隅までしっかり見ながら次の狙いに切り替えて撮っていく。

起こりそうなこと、以外では「目つむり防止」くらいでしょうか。
狙って切っても、目つむりは相手のまばたき次第なので合わない時は合わない。なので念のための連写。

私はほぼ「起こりそうなこと」のために連写していました。

連写はあくまで”補足要素”

ここまでで気づいた方もいるかと思うのですが、はじめから野球のプレーを連写ありきで撮影していないんです。あくまで補足要素。私の仕事や撮り方では補足要素で使うで十分です。

基本、撮りたい場面は「予測し狙い、1枚目で切る」が私の中では鉄則です。

投手のリリースや打者のインパクト(インパクトは下を向くことが多く顔が見えないのであまり狙わないですが)。自分が「この選手のここを撮りたい」というのは連写した中の1枚には絶対に写らないと思ってます。写らないというより確率が悪いと言ったらいいでしょうか。

リリースやインパクトは相手のフォームをよく観察し、タイミングを合わせて1回目のシャッターで狙います(そのあと流して連写することはあります)。自分が投げているような感じで、相手と呼吸をうまく重ねると結構合います。全然合わない、相性の悪い選手もいます(笑)

インパクト(周辺)は目が見えないので撮るけど使わないことが多いかも

シャッターにはタイムラグがあるので、カメラのくせも把握しておく必要があります。どの程度遅れて写るのかを体感で知っておくこと。

起こりそうなことも確実ではないから(あくまでこちらの都合で想像しているだけ)から「そうなったらいいな」「感情のピーク、来い!」と願って連写している感じです(笑)

例外はあります。
仕事の現場では「1球しか、打者ひとりしか投手を撮れるチャンスがない」ときに連写でひとまず撮っておく、ということをする場合もあります。それは相手に求められるものがあるからです。「撮ってませんでした」では済まされない。狙って切る時間がない、難しい場合に連写は本当に助かります。

機材が進化しても変わらないこと

ミラーレスになり、連写できるコマ数も劇的に増え、今は半押し状態から映像の記録を始めていて、シャッターを切った瞬間から前の画像もさかのぼれる(記録できる)とか!

それってもう、カメラマンじゃなくても誰でもOKじゃん……と複雑な気持ちになりますが、それでも写らない、写せないものもあると私は思っています。やはり撮り手の意思があってこそ写るものだと思うから。

連写について考えてみて、機材が進化し、その恩恵はもちろん受けつつも、あまり仕事し始めたころ(15年前)と連写の使い方変わってなかったです。

連写枚数の設定は?

野球を撮っている方、連写は何コマで設定しているでしょうか。

あまり気にせず上限いっぱいで撮っている方も多いでしょうか。私は8コマがちょうどいいかなと。投手を撮るときは12コマにしています。フォームの微妙なくせが残しやすいから投手を撮るときは多めに。
それ以上の枚数はあとで見返すのが大変。意外と「無駄なカットばかりで肝心なものがない!」ということになりがちです。

連写のコマ数が多ければそれだけ確率もあがるのでしょうが、撮って終わりではない。そのあと選ぶ時間もなるべく短く速やかにすることが求められます。
趣味で撮影されている方々も諸々の作業に貴重なお休みを使っているのでしょうから、写真整理の時間は短いに越したことはないと思います。短くした分の時間を他のことに使えます(発信活動など)。

そして、シャッターの耐久性にも限りがあります。
肝心なところでは惜しみなくシャッターを切るけれど、無駄に押さない。ミラーレスの電子シャッターは耐久を気にする必要もないですし、音もしないのが魅力ですが(舞台関係の撮影などではかなり重宝する)、「自分でシャッターを切っている感覚」があまりしません。

まとめ すべては自分の準備があってこそ

連写した中の1枚にたまたまいいものがあった、なんて稀です。

そういうラッキーを否定はしませんが(恩恵を受けるときもありますし)、やはり自分が意思を持って写したものは写真の持つ力が違う気がします。この辺は自己満足かもしれないですけどね。その写真を何も知らずに見たら連写の中の1枚でもなんでも構わない。

でも、撮り手の意思を感じる1枚って見てわかります。

連写は便利でありがたい機能ですが、それを活かすのは全ては自分の準備があってこそ、ということに改めて気が付きました。
機材を使いこなす、ってそういうことなのかもしれません。

野球を撮るみなさんのフォトライフがよりよくなれば、うれしいです。

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