野球を撮ることを仕事にして15年が過ぎました。
師匠に徹底的に教え込まれた「野球を撮ること」は体に沁みついていて、勝手に反応してしまうほど。
ようやくそこに「自分の表現したいもの」がエッセンスとして加えられるようになり、写真も変わってきたように思います。
ずっと携わらせていただいている高校野球雑誌の仕事と並行して、師匠が引退した2015年頃から自分の活動・発信としても野球の写真を再び撮るようになりました。
仕事をこなすことで精一杯だったころにくらべると、信じられない変化です。
2年前には個人のSNS発信から満を持してサイトを立ち上げ、試合ルポやフォトギャラリーの制作を始めました。
私もう、冷めてしまったのかな
2023年の野球シーズンもいざ、始まろうとしたとき。
雑誌の仕事はおかげさまで通常運転でしたが、自分の活動の方がまったく手付かず。
私の中ではずっと何かがもやもやしていて「心ここにあらず」な状態でした。
何が原因なのかがわからないまま、シーズンに突入。
現場(球場)に行けば楽しいし、いつもどおり撮っているときは夢中になれる。
だけど、いまいち気持ちが盛り上がらない……。
もやもやの原因を探る
自分の写真、やり方に飽きてしまったのかもしれない。
スピリチュアルに熱心ではないけれど、たまたま見た自分の太陽星座のタロットリーディングで「フォーカスを変えてみる」という言葉に出会いハッとしました。
自分の活動も仕事と同じように撮り、写真を選び、発信することが増えていき「自由にできる活動なのに、なんで私仕事と同じことしてるんだろう」と思ったのです。
サイトを立ち上げてからなりふり構わず進んだ1年は、正直かなり無理をしていたと気が付きました。
写真の選び方、言葉の選び方、文章の作り方。
メディアの真似事のようになっているわりに、精度は高くありません(書くのは素人なので)。
仕事で作っているものと同じようになってしまうのは、そのやり方しか知らないからというのもあるし、記事を見る人が求めているものは「(メディアのような)ちゃんとしたもの」と思っていたのでしょう。試合の結果をいち早くお伝えすることや、試合の経過や内容、状況説明に応じた写真などなど。
撮るときは自分の心が動いたものを写していたつもりだったけど、どこか説明的になっていたところもありました。例えば「この場面はあったほうがいい」と、その写真が心からお見せしたいものでなかったとしても、試合を語る上で「あったほうがいい」という。そこに引っかかっていました。
結果を忠実に伝えなければいけない。
だれに頼まれて始めたわけでもないのに「伝えたい」から「伝えなければ」になり自分を苦しめ、自分に厳しくなっていました。
「今年もそうやって活動してくのか……できるかな……しんどいな……」がもやもやの最大の原因だったのです。
変化を怖がらない
何度も何度も「私らしくやればいいんだ」と立ち返っても、大変ありがたいことにたくさんの方が見てくださっているので「とはいえ、ちゃんとしないとな……」と背筋を正して、自分に発破をかけてやってました。
私は何のために撮っているのか。
何を撮りたいのか。残したいのか。
ずっと同じなんてことはなくて、変化していくもの。
諸行無常。
変化を素直に受け止めて、その気持ちに逆らわずに乗っていく。
もやもやの原因がわからないまま進んでいたら謎の義務感で活動を続け、最悪発信を止めてしまう可能性だってあったかもしれません。
スタイルを変えることを怖がらない。
これは、たくさんの選手たちを見て学んできたことだったはず。
メディアのあり方や野球を撮るセオリーなんてぶっ壊して、自分のスタイルを模索していっていいんじゃないかと気持ちが固まったとき、ようやく霧が晴れ、目の前に道が見えたような感覚になりました。
誰のためでもない、まずは自分のため。
自分が納得した先にしか、答えや成果はないような気がしています。
「静」の中にある感情のゆらぎ
前にどこかでこのこと書いた気もするのですが。
師匠から「止まっている写真はスポーツ写真じゃない」と散々言われ続けてきました。動いてない写真を選ぼうものなら怒鳴られるレベル。
これもひとつ、私の中にあったセオリー(ルール)でした。
動きは止まっていても、選手の感情は動いてる。
静かに何かを考えている選手の仕草というのに私はすごく惹かれるものがあって、それをどうにか写真で表現できないかなとずっと追い求めています。
時間にしたらわずか、一瞬のことでもそこが気になるんです。
だから、私の写真は動いていない写真もたくさんあります。スポーツ写真じゃないと言われるかもしれないけれど、表現のひとつとしてあっていい。
今まで当たり前だったことも、見方を変えたら(フォーカスを変えたら)もっと写真の幅が広がるかもしれません。
視野を広げ、引き出しを増やす
選手の顔(目)が見えていないとダメ。
これも仕事の時はかなり気にしていますが、自分の作品の中の1枚だったら別に後ろ姿だって、俯いてたって、手元のアップとかボールにフォーカスしたり、なんだってアリなのです。
いかに私はこれまで狭い世界で(と言ったら語弊があるかもだけど)写真を撮っていたな、と。
撮る時もそうだし、写真を選ぶ時も思考が凝り固まり、自分の知っている世界の正解のなかで作品を作っていた感じです。決してそれが悪いことでは無いけれど、そのためにもやもやしてたのです。
もっといろんな人の写真を見て、作品に触れて、自由な発想で写真を組むことを勉強する必要があるなと改めて感じたのでした。
自由に表現できる場があることは本当に幸せ
今年は運営しているサイトのテーマにしている「写真で魅せる」をもっと突き詰めていきたい。
「きれい」「かっこいい」を超えた奥深さ。選手の気持ち、私の感じたもの。
写真説明がなくても伝わるような1枚を目指して、試行錯誤する日々です。
実は、今回のブログは5月の終わり頃にメモアプリに殴り書きしたものなんです。ちょうど大会期間中で、撮影しながら模索している状態でした。
「今年はこのスタイルでやっていこう」と、文字にして吐き出したことで見えたように感じます。
撮影がひと段落してメモを見たとき、ブログに書き残しておこうと思ったのです。ちょうど1年の半分が終わり、下半期に向けて決意を新たに!という気持ちで。
取引先のある仕事は求められるものに応えなければならないし(もちろん求められるものだけでなく、少し自分の色を添えることは心がけている)、よいものを作るために精一杯応えています。
一方で自分の活動はチャレンジできる場所なのだから、私も選手たちと同じように、変化を怖れずどんどんチャレンジしていきたい。
ここも同じです。
「このテーマは読まれるかな」「こういうのを求めてるかな」は一旦脇に置きます。更新頻度も気にしない。「他者の目線」を気にしだすとキリがないのです。
Naoko.Tというカメラマンが、カメラマンとして過ごしていく中で感じたこと、得たものをありのままに残す。もし誰かの目に留まり、何かきっかけになってくれたら十分幸せだなと思っています。
わがままなサイト運営ですが、思いに共感してくださる方は引き続きどうぞよろしくお願いいたします!